「流」
2005年

1月
もう3ヶ月ほど練習をしていない。
10月の大会で痛めてしまった脚が万全でないからだ。骨ではなさそうだが、思いのほか治りが悪い・・・
教室にも7ヶ月ほど行ってない。
仕事の都合で行けなくなってるせいもあるのだが、正月の初稽古に参加してそれっきりだ。
その時は42式の練習に参加したが、やはり脚が痛んだ・・・
新年早々、体調不良の暗い幕開けであるが今年もマイペースでやっていこうと思う。
なるがまま、自然に任せ流されていこうと思う。

今のところ決まっている行事といえば夏の全国大会。
昨年以上の成績が出なかったら、すっぱり孫式は封印しようと考えている。
私の人生も半ばを過ぎて、そろそろ先が見えてきている。残された時間に出来ることも限られてきている。
若い頃のように‘あれもこれも’とはいかない。
ぼちぼち香港の師父の楊式を懐かしみたい、そんな気分なのでした・・・。



<先人のお言葉>
「新年にふさわしい言葉はないものか」と探してみましたが、武術とはおよそかけ離れた言葉をひとつ。
この言葉、「論語」の中で偶然見つけたものです。私はゴーダマ君と並んで孔子様を尊敬してます。
両者は己に徹底して厳しい人でした。自分に決して妥協を許さない人でした。元祖ストイック・・・。
孔子の「論語」は道徳のバイブルとされ、今日尚その威光を放っています。
その「論語」の中に柔らかな一説があるのをご存知でしょうか。
およそ孔子らしからぬ、恋愛の極意・・・
子曰「未之思也。夫何遠之有哉」
子曰く「未だ之を思はざるなり。それ何の遠きことか之あらん」

この言葉、上句がある。
「唐楳の花がひらひら翻る。あなたを思わぬではないが家が遠すぎる」
と詠っているのをうけて
「思いが足りないのだ。恋路に遠いがあるものか」
と孔子がかえしている。
「何遠之有」
何の遠きことか之あらん

転じてその意味は
努力の不足



4月
M先生が転勤で他県に行ってしまわれた。
M先生の職場での太極拳クラブのメンバーも転勤となった人が多くあったようで、肝心の取りまとめ役、
M先生がいなくなったこともあって自然消滅の兆し・・・

私は私でまた4月から教室に通えることになり、初稽古以来久々に顔を出した。
今回の休み中は、脚を痛めていたこともあって、自主トレもしていなかった。
であるから、私は太極拳をするのが5ヶ月ぶり。
48式と42式はごっちゃになって、套路順番は「記憶にございません」状態。
5月にある中国人先生を招いての講習会で42式を受講したいと考えていたので、私は42式クラスに入った。
ぼちぼち孫式だって自主トレを始めないと・・・。
うっわー、講習まであと2週間しかない・・・(汗)
陽気は暖かく、外での自主トレに問題はないが、運悪く今年は花粉症がひどい。
家の中にいてもクシャミはでるし、洟はとめどなく流れる・・・しばらくは部屋の中で自主トレしよっかな。

ところで、M先生の転勤先には孫式の大家が住んでおられるはず。
その大家、孫剣雲老師に学んだ本格派・・・のはず。
私はその人に会ったこともないし、名前も存じ上げない。人づてに聞いたまでのこと。
そのことをM先生に餞(はなむけ)にお話ししたところ、さっそく捜索を始めたもよう。



そこで。
<先人のお言葉>

「真人不露相、露相不真人」
真人相を露わさず(あらわさず)、相を露わすは真人ならず

本当に実力のある人は自己宣伝などしないし、自己宣伝するような人間には本当の実力はない。
古代の武人は実力が付けば付くほど謙虚になり、自分の名前が表に出ることを避け
公衆の前に姿を現すことも控えた。「秘伝」となった所以である。
謙虚であることを武徳の第一とするのだ。
実力ある武人はその存在そのものが他人に対して威圧感を放っている。
だからこそ常に謙虚さを忘れてはならない。
いや、そういう謙虚さを持たない人は‘真人’になる素質がないという意味だろう・・・
謙虚であることは己に克つことである。
真の強さは己に克つ強さを持っている人の身につくのだろう。
そして‘真人’は‘不露’になっていくのだと思う・・・



5月
4月から教室に行き始めて、トウ先生の42式クラスに入っていた。
連休の4日、5日には中国人先生おふたりを迎えての特別講習があり、その時も私は42式を受講した。

ところで、トウ先生のクラスは12人くらいの大所帯である。
私はいつも端っこにいる。
近くにいるおばちゃんが「ちょっと、教えて♪」と言う。
付近にいる4、5人のおばちゃん、おじちゃんたちに重心移動のこと、反動で返ってくるときはゆるんでいること、
常に円運動で、手は陰陽を作っていることなど・・・
「え〜?もう一回!」
私はなんどもなんども説明しながら動いて見せてクタクタになってしまった・・・
別に難しい言葉を使ったわけでもなく、分かりやすいように言葉を選んで話したのだけれど、
「いっしょに動くとなんとなくできるんだけど、ひとりになるとダメ〜!」
私は指導員でないので、トウ先生の手前、でしゃばることをしたくない。
だからといって、教えてと言われたら断われないし・・・
そのうち、トウ先生が回ってきて「tuziさんに教えてもらった?」って言ってるし。
私はもう毎週のようにこんな調子なんです・・・(泣)
「(6月から42式剣クラス変わりたいなぁ・・・)」



<先人のお言葉>

以上のようなことがあったから言うわけではありませんし、決して自分のことでもありません。
と、前置きして・・・

「学無老少、達者為師」
学ぶに老少無し、達する者を師と為す。

武術においては年齢や身分、さらにはどのくらいの期間やっているかは無関係である。
要するに、自分より技の優れている人はすべて先生なのだ、という意味。

韓愈は「身分が高かろうが低かろうが、年長であろうと若かろうと、
道の存在するところが師の存在するところなのである」と述べている。
また、孔子も「私は三人で行動したら、必ずそこに自分の師を見つける。
よい人を選んでそれに見習い、よくない人にはそのよくないことを自分が気をつけて直すようにする」と述べている。

しかし、これは実際はなかなかできることではない。
楊澄甫もその著書の中で述べていた。
「武術の進歩は人によって違う」
だから、自分より経験の期間で技量は計れないし、また年齢が自分より若いということで
技量が劣ると考えるのは、はなから間違っている。
だが、いくら技量を認めていようと、年長者が年少者に習うことは心情的になかなかできるものではない。



7月
全国大会の孫式の練習に集中したいので、7月から一期(3ヶ月)教室を休むことに。
大会への参加は今年で2度目。(詳しくは「競技大会」をご覧下さい)
今回の報告Upには、たくさんの読者の方からメールを頂戴しました。
無礼にもどなたにも返信をしておりませんが、この場にて熱く御礼申し上げます。
数々の貴重な助言をありがとうございました。感謝申し上げます。


正直、私はまだ頭の中が整理されず、太極拳のことが頭から離れないくせに全く体を動かさない、
太極拳の練習から離れた毎日を送っております。でも、このまま無為に時間が過ぎるままにもしておけません。
自分に決着をつけて、それが一時的な決定であれ、早急に心にけじめをつけて精進して行かねばなりません。
私は太極拳を辞めてしまう方向ではなく、続けていく方法を見つけねばならないと感じております。
「競技大会」文中には、「私なんか辞めたほうがいいんだ」というような泣き言もありました。
そりゃ、競技大会の結果は「おまえなんか、やめちまえっ!」と言わんばかりの結果でありましたが、
「それはそれ」と割り切る気持ちを持たねば、と今の私は感じております。
ところが自分の気持ちを‘割り切る’方向に持っていくことは、即座にできるものではありませんで。
一刻も早く‘折り合い’をつけねば前進はできないのだと思いながらも、ムダに思い悩む日々を過ごしておる次第で
面目もありません。

実は、7月末が県大会申し込み締切日です。
考えてる猶予などないのですが、まだ行動を起こせずにいます。
今は大会の事は考えたくなくて、逃げているのは自分でも分かっているのですが・・・
なーんて、冷静を装って書いていますが、ぶっちゃけ落ち込んでます。しょんぼりしてるんです。
「もう、太極拳はしたくにゃいよー(泣)」と駄々っ子のように手足を投げ出してジタバタしてるんです。

読者の皆様にはこの後も、叱咤メールが続々と届きました。
つまるところ、
大会での評価を得るための太極拳でなければ続ける理由にならんのか?!
といったことのようでした。
そりゃ、私はアナーキン・スカイウォーカーみたいにダースヴェーダーになってまで強くなりたいとは思ってません。
それ以前に闇の皇帝から誘いすらありませんて!何が言いたいのか、ですって?
大会で評価を得るための太極拳をするつもりはない。
ということです。これまでも、これからも・・・。
それがね、大会なんかに出ちゃって、「おまえの太極拳はなってないっ!」とレッテル貼られて落ち込んだデスよ。



<先人のお言葉>

最近読んだ太極拳関係の本に「太極拳は大用がない」という言葉を見つけた。
つまり、「太極拳は直接的には目的を持たない。その意味では無用のものだ」と言う。

こう語ったのは、ある中国人武術家(陳式)であった。
さらに、現在広く行われている表演競技(審判が採点し、点数を競う)に関して
「高得点を得るために外形の美しさを追及することにとらわれ、ともすれば、
太極拳の本質がおざなりにされるマイナス面を持っていることも否定できない」と語る。
また、「自分の意思で行う太極拳は貴方の人格を映し出す。
個性を無視して外形を無理にそっくりに合わせる練習は効用を減らし、人格否定とも言える」と。
どうですか?
日本での現状にこの中国人武術家は多少の違和感を感じていたようです。
この点においては、私もかねがね感じていたことでもありました。
大勢の人たちが一糸乱れず音楽に合わせて表演する光景は、もはや太極拳ではないでしょう。
そして、24式太極拳の高い普及率も不思議に感じたといいます。
このことも以前、同じようなことを言った中国人武術家(楊式)がおりましたし・・・。
24式だけを何年、何十年練習したところで太極拳を極めることはできない・・・と。

このところの私は太極拳を続ける上で理由付けを探していました。
大会での結果に落胆し、今後太極拳を続ける上で目標が欲しかった。
だけど、ひとつハッキリしてるのは、その目標は大会での好成績というものではないのです。
減点法で採点される套路競技、個性と意思を無視した集団競技、定規と時計を持っての練習・・・
それは、私の欲していることではないし、太極拳の練習とは呼べないと私は感じています。
そんな時に「太極拳は大用がない」という言葉が目に飛び込んできたのです。
大会に出たとしても、その結果に一喜一憂しない、平常心で太極拳を続けていきたいものです。



10月
全国大会以来、練習をさっぱりしていない。
太極拳したくないからと言うのではないが、目の前に‘教室に行かねば’といった習慣があるわけでもないし、
‘大会があるから’という切羽詰った状況に追い込まれているわけでもない。
こうなると意志の弱い私のような人間はサボリに走る・・・

ところが、県大会までひと月を切ってしまった。
かなり、追い込まれた状況になってきたぞ。今年も孫式で既に申し込みを済ませた。
これまでの私なら大会の二ヶ月前には本格的に練習を始めていたのだが、
焦りつつもどこかダラけていた私は、10月も半ばになってようやく重い腰をあげた。
折りしも10月下旬に孫式を習う機会ができた(嬉)
「あまりにひどい姿は見せられない」そう思って慌てて練習を再開した次第。
上京まであと一週間しかなかった・・・

河原に行って準備体操から24式を動いてみる。
「あっれぇー??」
体がコチコチに固まっているではないか!
下勢ができない状態・・・
元々上がらない脚がなおさら上がらない・・・
かかとを着いたままの屈伸ができない・・・
「ま、ま、まじ、マズイ!」

・・・焼け石に水、7月からまともに動いていないこんな状況のまま上京。
初の孫式体験教室へ。太極拳を習うのは実に5月の講習以来である。
私の孫式は再三ここで書いてきているように‘まったくの独学’である。
VCDを見ながら競技套路を覚えた。一応本も読んだ。
でも誰にも習っていないし、見てもらったこともないし、アドバイスすら一度も受けたことがない。
中国人の先生が我が県にいらしたチャンス到来時に、
「見て欲しいのですが(我想看一下、可以不可以?)」「いいよ(可以可以、当然可以!)」
安請負されたことがあるが、大方見るに足らないということだったのだろう、一度も見て頂いた事がなかった(泣)
動作において雲をつかむような曖昧模糊とした連続であるが、全国大会での感触から
これでいいのだとも頭のどこかで思ってもいた。・・・独学の悲しいところである。
その孫式を初めて先生に就いて習えるのである。
こんな機会はめったに訪れるものではないし、またとないチャンス到来だった。

その先生の教室では10人ほどの方々が孫式を習っていた。
私は今回限りの体験入門生として受講を申し込んだ。
教室に行ってみて、まず尻込みしたのが教室が全面(前面)鏡張りなのだ。
これはイカン!
ガマの油状態なんですけど!
ダメだよ・・・カーテン閉めようよ・・・
後ろの隅っこ、鏡に映らないポイントにいた私の心中などそっちのけで「こっちに」と呼ばれ、前列へ促される。
うっわー、ガマtuziのできあがり。
頼む!この鏡どうにかしてくれよ(泣)
それからというもの鏡見れなくて視線は落ちっぱなし。
とても太極拳習える心境じゃないんですけどぉ・・・
まずはストレッチから。
とにかくガマtuziにはかなりキツク、長く感じた・・・
「(ここの教室ではいつもこんなに長いストレッチしてるのだろうか・・・?)」
「(やはり都会の選手のレベルの高さはこういうところからきているのだろうか・・・?)」
そんなことを思いながら、いつ終わるとも知れないストレッチにガマtuziは耐えていた・・・。
私は体が硬く、ストレッチは大の苦手だ。
靭帯をのばす前屈でも手が床につかずにいたが、先生がちょっと手を加えただけで
(あらあら・・・?)
凄いですー。
私の手が床に。魔法のようですぅ。
さすが手の貸し方が違うのですね。
私ってこんなことができるのねー、状態。驚きです。
片足を持ってバランスをとる。
足なんか上がりませんて・・・
ところが、先生がちょっと手を加えただけで
(あれあれ・・・?)
胸まで膝が来るではないですか。
凄いですー。
私の足が胸に。魔法のようですぅ。
さすが手の貸し方が違うのですね。
私ってこんなことができるのねー、状態。びっくりです。
「こういうストレッチしてる?」と先生はいろいろなメニューを披露してくださいました。
その度に私は「いいえ」と答えるのですが
「(こいつストレッチしないんじゃないか!)」と感じられたに違いないんです。
プチキレ気味で「今日覚えたんだから、これからはして!」と・・・
ストレッチしながら雑談。
「孫式で全国大会に出たんでしょう?県でひとりだものね」
「いつから孫式始めたの?」
「えっと・・・全国大会に2回ですから2年前です」
「えーっ!2年前に始めて大会に出たのぉ?(動揺)」
「・・・はい(なぜ驚いているか分からない)」
「点数は?7点いくら?」
独学ですぐに出場したのだから7点台に違いないという言い方。
(え?7点て?)
「得点は何点だったの?」
「8.5でした」
「・・・ふむ、悪くないよね。今年は?」
「今年は下がってしまいました。8.43でした(思い出したくもない)」
「どうして下がったの?」
「・・・わかりません」
「そういえば、ここのクラスにも孫式の選手がいるんだよ。どのくらいで出たんだっけ?」
「3ヶ月です」
「げっ、そうだっけ?」

さて、孫式である。
手の動きの甘さ、足の運びの数センチの甘さを厳しく指摘される。
足の開きのことは分かってはいても、かなり大雑把に動いていたのだ。
たまたま脚が閉じてしまったのよ、別にいいじゃん、くらいに考えていた。
しかし、「競技套路でしょ、正確に動かないといけないでしょ」とかなりシビアに要求された。
私のこれまでの練習の甘さが露呈してしまった。
単鞭で手を開いた時、手の高さが違う。視線がないほうの肩が下がる。
ま、数ミリの違いでしょ、たまたま違っただけ、別にいいじゃん、くらいに考えていた。
ところが、「見えていないほうの意識が足りないんだ。だから自分で感じているより意識を多くしないと」と。
そうだったのか。徹底して正確を期さねばならなかったのだ。これでは一から練習しなおさねば。
足の開きを頭に叩き込む。体に覚えこませて、いかなる時も閉じないように回転できるように・・・
手の位置も狂いのないように調整しなおさねばならない。

練習終了後、先生の本物の檄は飛んできた。
いや、練習中は生徒さんの手前、私にばかり構ってはいられないし、指摘する時も静かな口調でいたのだろう。
練習後のロビーで・・・1対1でガツンガツン言われた。
「太極拳始めて何年?」
「1997年からですから・・・」
「え?8年?短いよ!」
(え?そうなのかなあ?私としては8年も何してたんだか、って感じなんですけど・・・)
「基本を復習して!太極拳の基礎だよ、知ってるでしょ?」
「あ、はい・・・」
って言ってしまったものの、本当は太極拳の基礎がなんなのかよく分かっていない。
先生の檄はとまらない。
「套路できたばかりで(しかも独学で)大会に出るなんてとんでもないよ!
私は責任があるからね。そんな状況で生徒が出たいって言ってもダメって出さないよ!」
(あら?さっきの人3ヶ月って・・・)
「第一、審査員の先生に失礼でしょ!(怒)」
(・・・涙目)
「VCD見て孫式覚えたことは凄いよ。でも脚を閉じてしまったり、肘が出たり・・・
それは太極拳じゃないでしょ!(怒)
そんな太極拳はないよ!見たことないよ!(怒)
私が今までに見たことないんだよ!(怒)」

熱を帯びてきた先生はいつしか中国語になっており、
要は、8年ぽっちの経験で、しかもロクな練習もせず、大会終わった7月から遊び呆けていた私のようなものが、
大会に出場するその神経が分からんよ!失礼と思わんのか!ということ。
まともにノックアウトされてしまいました。
「・・・痛いです」
耳に痛いです。
それを聞いた先生、
「じゃあ、もう言わないっ!ぷいっ!(怒)」
「・・・(あれ、なんで?)そんなこと言わないで下さい・・・(涙)」
「だって痛いは太極拳したくないでしょ?」
「そんなことないです。痛くても私は太極拳します」
・・・なんだか言ってることが分からなくなってきた。
先生は他の生徒さんに対応してしばらく口をきいてくれなかったが、突然何事か思い出したようにこちらに向き直り
「習う気持ちができてないよ!(怒)」
「あんた武徳ないでしょ!(怒)
あんた武徳って知らないでしょ!(怒)」
「‘痛い’じゃなくて‘嬉しい’でしょ?
チッ、もう言わないよ!(怒)」

辛辣とおり越して‘人間失格’くらいの勢いでガツンガツン言われ涙目になっていました。
口ごたえする気などさらさらなかったのですが、つい「(言葉が耳に)痛いです」と言ってしまったら
「じゃあ、もう言わないっ!」(低音の刺すような怖い声で)と突き放され、
さらに「これでもか!」とばかりに・・・先生には一言も返してはいけないということを学びました。
要は「遠くからわざわざ来たから言ってやるけどな、おまえなんか太極拳学ぶ姿勢すらできてないんだよ!」と
言いたかったのかも。
「俺におまえのショボイ孫式見てもらおうなんてもってのほか!」だったのかも。
先生の言ってることはしごく当然の事ばかり・・・
言われても仕方のないことばかり・・・
私の甘ったれの一言が機嫌を損ねたようで反省してます。
いまだに、「じゃあ、もう言わないっ!」と見放されてしまったことがショックでなりません。
あの一言は本当に悲しかったです。

中国人の先生に当たり前に習える環境を羨ましく、せっかく教室にお邪魔することができたというのに、
不本意ながら私ったら先生の言葉に水差すような一言を言ってしまってぶち壊し・・・
教室の皆さんは練習後お食事をされるのだそうですが、
こんな失態をしでかした私は、先生に引きとめもされず寂しく帰途についたのでした。

そして、恥ずかしい孫式で県大会出場まであと2週間。
調整なんて今更無理ですって!
願わくば来年7月の全国大会までに人様に見せられる孫式に仕上げたいものだ。
と、考えている今日この頃である。