「嬉」
1997年
24式・88式(一段)

4月・出会い
私が太極拳に興味を持ち始めて10年になろうとしていた。
元々中国が好きで中国語は独学だが1994年から始めていた。
しかし太極拳となると、5年位前に連続写真の本を買って覚えようと試みたことがあるだけ。
実際動いているところも見たことのない私は、そのリズムもとることが出来ず、あっさり挫折していた。
この時の本というのが「24式」だった。
本を読み、連続写真で出来たのは、抱球とヤバブンソウだけ・・・。
「やはり先生に就いて教わらなければ無理・・・」
とはいうものの、カルチャークラブで教わるのには何か抵抗がある。
「太極拳、ってカルチャーじゃないよね?弟子入りして習うものだよね?」

私はこの頃、邦楽の稽古をしていて、いつものように邦楽の先生のお宅にお稽古に行った時のこと。
帰りに先生のマンションに隣接している市民センターに寄った。市民センターの4階には図書館がありました。
エレベーターを待ってる間、1階ロビーに置いてある各種教室のチラシに、なぜか目がいったのです・・・。
クラシックのコンサート情報・・・私はこの頃クラシックにはまっていた。
そして、その横に黄色のチラシ・・・
「!!!」
太極拳教室・・・!?
思いがけず出くわしたチラシに私は引き寄せられた。
時期的にも今は4月。あと1週間ほどで新期がはじまる。タイムリーでした。

チラシを家に持ち帰り「いかがわしくないかしら?」「宗教団体じゃないでしょうね?」と悩み、
あれこれ悩んだ末に、とりあえず電話してみることに。
電話に出た男性は「ああ、来てみて下さい」とこっちの緊張はどこへやらで、実にあっさりしたものだった。
こっちが拍子抜けしてしまった。
「・・・あのお、何を持っていけばいいんですか?」
と聞く私に、「運動できる服装ならなんでもいい」と。
「とりあえず行ってみよう。怪しかったら入会しなければいいだけのこと・・・」
というわけで、私は武道館へ向ったのでした。



4月17日・入門
私は夜間クラスに入門することにした。
夜6時30分から8時30分までの2時間が週に一度。3ヶ月で一期。会場は武道館の弓道場。
舞台を入門生が使って、24式が修了した先輩たちは人工芝の屋外で練習する。

「先日、電話した者です」と代表者らしき人物に名のり、流れで入門することになってしまった。
私は新入りなので後ろの隅っこに正座して始まるのを待っていた。
他の人たちは、みんな和やかにあいさつを交わし、各自柔軟体操をしている。
「うわっ!柔らかい!あんなに曲がっちゃうの?」
時間になると、先ほどまで受付をしていたw先生(代表者)が簡単なあいさつをし、全員で準備体操が始まった。
私が運動するなんて何年ぶりだろう・・・?
てか、私が自分から運動をしようと思うなんて、奇跡だ。運動は苦手だし、好きじゃない。好きになれなかった。
準備体操が終わると各クラスに分かれて(ひとクラス6,7人)練習が始まる。
私の同期生は10人ほど。私たちを指導してくれるのは若々しいアイ先生(女性)
さっき見てしまったみんなの柔らかい体に怖れをなし、もちろん私は一番後ろに陣取った。
3ヶ月(一期)で24式を仕上げるのだそうだ。
毎週2、3個の動作を覚えていくペースだ。
「楽しい♪」
私は初日からすっかり太極拳にのめりこんでしまったのでした・・・



5月・毎週火曜日が待ち遠しい♪
「100年早く始めていれば・・・」と大いに悔やまれた。
私は暇さえあれば狭い部屋で復習をし、次週習う型のテキストを読んで予習した。
教室が終わった帰りは、誰もいない夜の神社に寄って練習した。
まだホンのちょっとしか出来ないのに、とにかく毎日練習していた。
だから、教室で「先週習ったのを忘れた」なんていう人の気が知れなかったし、
「なんで?」と不思議にさえ思っていた。
「だって、まだ5つしか進んでないじゃんか!?」
出来る出来ないとに関わらず毎週新しい動作が加わっていく。私としては楽しくて仕方なかった。
そして、帰りの神社での練習も長くなっていくのが嬉しくて嬉しくて仕方なかった。
「早く最後まで通せるようになりたいなあ♪」
太極拳をしている時だけは、動きに全神経を集中しているので、他の事を考える余裕がない。
そこがいいのだ!
教室にカナダ人の女性がいる。
彼女が私に「アナタノウゴキハ・・・シュウチュウシテマスネ」と言う。
「ええ、集中しないと動けないのです(笑)」
「ソウデスカ。ワタシハ・・・イロイロカンガエマス」
「動きの事?」
「イイエ、ゴハンノコト・・・シゴトノコト・・・イロイロデス(笑)」



6月・24式卒業!
3ヶ月があっという間に過ぎて、我々は24式修了となった。
最後に2人一組でクラスのみんなの前で表演することになった。
私は、ムナカタさんという同年代の女性と組むことになった。私は気持ちよく表演することが出来た。
最後の週に先生が私に言った。「tuziさんの動きには癖がないわね」と。
この時は「(どういうこと?)」と思っていた私だったが、
先生から個人的に話しかけられることなどなかったせいもあり、強く印象に残った。
長年の垢がついて、集中力なしに動けるようになると‘変な癖’が現れるものだ。個性といってもいいだろう。
年月が経てば経つほど‘癖のない動き’になっていければいいな、と思うこの頃である。



7月ー9月
私は7月下旬に引越しを決めていたので、7月から9月までの一期を休むつもりでいた。
休むだけで、やめるつもりはなかった。
復帰してから先生が言うには、「若い人はすぐやめてしまうから、tuziさんもそうだと思った」と言われた。
私は教室を休んでいた3ヶ月間も、習った24式を忘れないように練習していた。
太極拳が大好きだった。やめようなんて思うわけがない。



10月
3ヶ月ぶりで教室に行ったら、同期生は半分になっていた。確かに、若い人は来ていなかった・・・。
サラリーマン風の男性とムナカタさん、タカハシさんという物静かな女性と、私。
タカハシさんは24式の頃気がつかないほど目立たなくて、私など名前すら知らなかったほどだ。

私たちはナカ先生(男性)に88式を教わり始めた。
それから数ヶ月、11月に入る頃にはタカハシさんと私のふたりだけになってしまったのだ!
「いつの間にかみんないなくなってる・・・」
私たちのクラスは3人で細々と練習していた。
今思えば、私は自分の太極拳のことで精一杯だった。
覚えの悪い同期生のおかげで「今週も進まないじゃないか!」と腹立たしくさえ思っていた。
だが、同期生は先生とも違う、先輩とも違う、切磋琢磨できる仲間だ。
どうして、同期生の人たちに声をかけなかったか・・・
一緒に太極拳続けよう、ってなぜ声をかけなかったか・・・
同期生のいない孤独を当時知る由もない私だった・・・



11月
屋外での練習は何が辛いって寒さだ。私は極端な寒がりだ。
それに、これまで運動らしい運動をした事がないから、スポーツ用品はおろか防寒着も持っていない。
だるまのように着込んで、手袋をして練習に励んだ。寒くて泣きそうだった・・・
休みたくなかった。
引越しをして、通勤時間が長時間になって、乗り換えの待ち時間にホームの隅で隠れるようにして練習もした。
今思えば、思いっきり恥ずかしいです・・・



12月
24式の頃と違って、教わるスピードが急にゆっくりに感じられるようになってきた。
24式はとにかく3ヶ月で終えるように進められるので、ちゃんちゃんと進められたが、88式に入ると、
周りの全員が覚えないうちは先に進まない。しかも、みんな休みがちだ。足踏み状態が何週間も続く・・・
私は片道2時間もかけて通っているので、新しい動作をひとつも教わらずに帰らねばならないことに
苛立ちを覚えるようになっていた。

そしてこんな時、香港で師父と出会ってしまったのだ。
「自分はこのままの練習ではいかん!」
師父との出会い、私の太極拳に大きな影響をもたらすことに・・・(太極拳修業記参照)

以下は自主トレ用として97年個人的に購入したものです
購入場
表 紙
内 容
追 記
日本
日本語
ビデオ
郭福厚
「伝統孫式太極拳」
香港で見た太極拳の正体が知りたくて、
実験的に購入した。結局違っていたが・・・
日本
日本語
ビデオ
周凧芳
「伝統楊式太極拳」
これも、正体が知りたくて購入した。
香港で習ったのは結局「楊式」だったが、周凧芳のこのビデオを見たときは
「違うなあ・・・」と思った。
香港の師父の楊式は、こういった動きではない。
あとで知ったことだが、一口に楊式と言っても、伝統拳は様々なのだ。
日本
日本語
ビデオ
李徳芳
「48式、88式」
これは自分の教室での予習用に購入。
48式はこれで覚えた。





「苛」
1998年
88式(2段、3段、4段)・48式

1月15日・初稽古
祝日に初稽古が催された。
早朝、最寄駅までの道路が凍結していた。命がけで駅に車を走らせる。
坂で、右折しようとして止まっている車があった。
「まったく、こんな時に!」
スリップしそうでブレーキが怖くてかけられない・・・
なんとか、車間距離をとって坂で止まった。

ドン!

「は?」
なんと、追突されてしまったのだ!
私に追突した若いお兄ちゃんは「止まれなかった・・・」と正直に謝った。
わかる、その気持ちはよーくわかる。
どうやら、高校生の弟を駅に送っていく途中だったようだ。
お互いに時間がないから、幸い怪我もないことでもあるので、あとで連絡するということにして駅に向った。
事故が起きようが太極拳が優先。

初稽古は柔道場で行われた。
自由参加なので、同期生はいないし、見知った顔もない。
そして、なにより大変な人だった。100人以上はいるようだ。ほとんどが昼間クラスの人たち。
「こんなに習っていたんだあ・・・(驚)」
インスタントのおしることみかんが配られて輪になった。
柔道場も相変わらず寒かった。

先生方の表演が行われた。
私は24式以外の太極拳を知らない。太極拳というのは、24式一種類だと思っていたのだ。
ところが、ここで知っただけでも3種類はあるではないか。
でも、先生方の表演の中にも香港で見た動きはなかった・・・
「あれはなんだったんだろう・・・?」



2月・3月
夜の冬道は怖いので、昼間クラスに行くことにした。
昼間クラスの方が人数も多いし、主婦層が圧倒的なので、休憩に飴やお菓子が回ってきたりして、
夜間クラスとはだいぶ雰囲気が違う。

先生はカサ先生(男性)で、相変わらずゆっくりしたペースで88式を習い続けていた。
「イライラする!」
そんな私の気持ちが顔に表れていたのか、カサ先生は「焦っても上手にはならない」と言った。
私は、上手か下手かは別として、とりあえず最後まで套路を覚えて通せるようになりたかった。
だって、套路がないと練習できないじゃないか!?練れないじゃないか!?
この当時の私は、ブルース・リーが捨てた套路にしがみつき、繰り返し練習するしかない、と思っていたのです。
この頃から左ひざの痛みがひどくなってきた・・・



4月ー6月
私は、教室でたらたらと88式を習っていた。
こんなことでは香港の動きは見つけられないので、私は書店で太極拳関係の本を探しまくった。
本でわからなければビデオを買って見たりもした。
「孫式なのか・・・?一か八か買ってみよう!」
ビデオは高額だ!賭けだ。

昼間の教室に友人はいない。私はいつもひとりだ。
相談できる先生もいないし、ましてや先生とは話しができる雰囲気でもない。
頼りは書店だけとなっていたが、結局香港の動きはわからなかった・・・
「こうなったら、行しかない!」(太極拳修業記参照)



7月
夜間クラスに戻った。唯一の同期生タカハシさんは来なくなっていた。
ついに、ナカ先生と私のマンツーマンに。
88式も後半に入ってきた。
私は、88式の予習が終わり、次の套路48式のテキストが読みたくなっていた。
こわごわw代表にテキストを注文する。
w代表の顔は「なんで、お前なんかが48式のテキストを必要とするんだ?」と言いたそうにみえた。
首尾よくテキストを手に入れた私は7月から家で48式の予習に入った。
私の予習はテキストを読むことから始まる。
読みながら動く。
何度も何度も動く。
24式のテキストが読めれば、他のテキストも読んで動くことが出来た。
何事も初めが肝心!
私の基本は24式だった。
24式を教えてくれたアイ先生の声が聴こえてくる。
24式のテキストの文章が頭の中に浮かんでくる・・・
私は太極拳をしている間、テキストの文章が頭の中に浮かび、動作を確認し、意識的に動くことに集中した。
この癖が今も抜けず、動きだけを見て、それを真似て覚えるのがとても苦手だ。
何をしているのか、何がしたいのか、
どこをどう攻撃したいのか、守りたいのか、それが分からないと動けないのだ。
つまり、理論がわからないことには動けない。まず、頭で理解しないことには動けないのだ・・・
頭の中に本の文章が浮かんできて、それを読むように意識的に動く。体より頭が疲れます・・・



8月、9月
ナカ先生は6時30分始まりにもかかわらず、6時頃から一緒に最後まで通してくださった。
これが毎週繰り返されたおかげで、9月には88式を通せるようになった
私は感じなかったが、この光景を羨ましく見ていた人がいることを後で知った。
そうだよね。
ナカ先生のように見てくれる先生は他にいなかったもの・・・



10月・進級?
ナカ先生の熱心な指導のおかげで私は88式を仕上げることが出来た。
10月は進級の月でもある。
ナカ先生はw代表に88式が一通り終了したと言って下さった。
私が48式に進みたくてウズウズしているのを察していたのだろう。

48式クラスの人を前にw代表が私を紹介した。
「本来であれば、下のクラスに行くべきだが、88式終わったと言うので、とりあえずこのクラスに入ってもらう。
まあ、進級できるかどうかわからんが」
こんな言い方ってある?
泣きそうなんですけど。人前で恥かかされたといった感じ。事実涙目だった。
どうして、こんなこと言われなければならないの?
私が48式を学ぶ資格がないということなの?
48式のクラスに入ったからには意地でも進級しなければ。
こんなこと言われて落第するわけには行かない。
なんとしても、追い越してみせる!
泣きながら私はそう思っていた。



11月、12月
毎週毎週、w先生の紹介の言葉を「臥薪嘗胆」にして練習に励む。
w代表に指摘されないように、落ち度を見せないように家で練習してから教室に臨んだ。
考えてみれば、これは体に悪い。
太極拳の恩恵は健康にあるし、リラックス(放松)しなければ上達も望めないのに、
私は負けまいと臥薪嘗胆をエネルギーに練習してるんだから・・・
楽しいはずがない。

太極拳は大好きだけど、いつしか楽しさはなくなっていた。
教室では相変わらす孤独で、私はよそのクラスの居候のような存在となっていた。
自分のクラスがない・・・。
私の教室での孤独はこの頃から始まったのだ。
この一年で、24式の頃の楽しい太極拳はすっかり姿を潜めてしまった・・・

以下は自主トレ用として98年個人的に購入したものです
購入場
表 紙
内 容
追 記
香港
中国語
B6版
陳微明著
「楊式剣」
53式のコテコテの伝統剣。
写真は昔の白黒写真だが、陳微明はやっぱりカッコいい!
香港
中国語
A5版
楊澄甫著
「太極拳用法図解」
楊澄甫の遺著である。
高弟たちの写真から始まり、澄甫晩年の白黒写真での套路。
推手や、攻防も一応写真が入っている。
古くて見づらいが、「いつかは役に立つ」のでは・・・と購入。
香港
中国語
A4版
楊式太極拳系譜
写真が豪華で、高価だった。
買うのをやめようとさえ思ったが、ここで買わねば後悔すると思い、
購入にいたった思い出の品。
香港
中国語
B5版
董英傑著
「楊式太極拳」
これは私にとってバイブル的お宝本!
涙が出るほどありがたい一冊だ。
こういった先人があればこその伝統太極拳だと思う。
董英傑の太極拳を引き継いだ6人の子供達の顔写真がでている・・・
私は偶然にも2003年末娘と知り合うことになった。不思議なめぐりあわせだ。





「焦」
1999年
32式剣・48式・総合42式

1月ー3月
昨年10月から48式クラスにいた私だが、私の興味は「伝統拳」に傾き始めていた。
香港の師父は「楊式」だった。しかもかなり正統派だった。
日本の教室での「制定拳」の習得と、同時に私は「楊式」の勉強も始めた。
香港で買ってきた本があるし、師父の動きを思い出しながら・・・
幸い88式は「楊式」に近いといえば近い。
楊式に限らず伝統拳の動きは徒弟関係の中で受け継がれているので、師匠によって動きがまったく違う。
現に、私は香港で3種類の楊式を目にした。その中でも師父の動きには‘強さ’があった。

さらに、この頃から私は呼吸を意識するようになった。
香港で買った太極拳の本は中国語で書かれている。まずは「養生」が延々と・・・
本の半ページはこのことに触れていると言ってもよい。その後にやっと「套路」が続く。
数冊購入してきたが、どれも構成はこんな感じだった。
私が師父と動いた時も「呼吸」が重要な位置を占めていた。
日本に帰って教室で動く時も呼吸を意識するようになった。
私はできるだけ深く呼吸するように意識していたので、動きが遅くなる。
ところが、団体で動いている教室では、私のようにGoing my weyでは浮いてしまう。
「みんなで動いているんだから、合わせたほうがいい」と口にした人も数人いた。
私はいつも一番後ろでマイペースを保っていた。
でも、転身したら隣の人と向かい合ってしまったり・・・



4月
w代表はひとりで楊式クラスと48式クラスを指導していた。
私たちの教わる時間は半減し、遅々として進まない日々が続いていた。
このことにw代表も頭を悩ませていたに違いない。
そんな4月に転勤で新しい先生がやってきた。
私たち48式のクラスをその先生が担当することになった。
彼はM先生といった。
M先生はファンが多くて、特におば様方は目をハートにしながら「ステキねえ、キレイねえ」とうっとりしていた。

一方私は、香港楊式の予習、中国語の太極拳本を読むこと・・・
そして目下の最大の課題は左膝痛の克服



5月
毎年、5月のゴールデンウィークに2日間の特別講習会が催されていた。
私は今年初めて参加を決めた。
上級者だけが参加できるものと遠慮もあったし、参加してもついていけないものと考えていたからだ。
この特別講習会には近県から太極拳愛好者が泊りがけで集まっていた。

M先生は以前教えていた方々から大変な慕われようで
「あなた、M先生に習ってるんですって?いいわねえ・・・」と羨ましがられた。
私なんか誰先生に習おうが、クラスの中の落ちこぼれに過ぎないのだが・・・。

特別講習会に中国人のC老師が招かれていた。
その先生は私がまだ習っていない42式を担当されていたので受講することは出来なかったが、
表演を見ることが出来た。
中国で第1号の博士課程を修めた権威ある先生ということで、「すっごいわねえ!」「素晴らしいわね!」と
絶賛されている中、私ひとりだけ「伸びきったゴムのような動きだ・・・」と密かに毒づいていた・・・。
段階によって、見方も変わるものです。



6月
私の左膝痛はいっこうに治らない。
これまでナカ先生、w代表にそれとなく聞いてみたが、これといって改善策に至らなかった。
新しくやってきたM先生にも聞いてみた。彼は親切に私の動きを見てくださった。
でも、結局は自分で見つけるしかなさそうだ。
私はああでもない、こうでもない・・・を繰り返したが、結局なるように任せてしまった・・・。

太極拳は何時間でも練習していたい。
だが、左膝が悲鳴をあげてしまうのだ。これに私は参っていた。
「もっと、もっと動いていたい。練習したいのに膝が痛い・・・(泣)」
そんな時、私は一冊の本に出くわした。
その中の一節に「酸多練、痛少練、麻不練」とある。いわゆる「練傷」である。
酸とは、体がだるいこと。痛とは、いたみ。麻とは、しびれや麻痺。
「酸はむしろ刺激することで数日のうちに克服できる。
痛は練習量を減らし、様子を見るべきである。大事になってからでは取り返しがつかない。
麻は筋肉の腱が疲労し伸びきった状態。回復を待たねばならない」とある。

教室の代表は「10年太極拳して初めてものを言え」みたいな事を言っていた。
それは週に一度の教室で10年なのだろうか?
もし、週に一度しか太極拳をしていないなら、7年でやっと1年分だよね。
私は‘太極拳は毎日してこそ健康になれる、恩恵にあやかれる’と思っているから、毎日の日課となっている。
仕事が忙しすぎて体が動かせない時も、イメトレだけは欠かさない。
「太極拳は趣味でしょう?」と言われることがある。
「いいえ、生活です。ご飯食べたり、眠ったりするのと同じです」
わかってはもらえないようだ・・・



7月
この時期のマイブームはだった。テキストはないが、ビデオで32式剣を覚えた。
7月の祝日に剣の一日講習会があったので、予習用に購入したのだ。
剣は昨年横浜で購入してきていた。高額だった。軽いので練習用にしている。

始まりの30分前には行くようにして、人目につかないロビーで剣の練習をするのが習慣だった。
そこにイトーさん(男性)がいらっしゃる時もあった。
彼は教室に通われて長いのだろう、熱心に打っている姿は人目を引いていた。
彼も、私と同じように教室が始まる30分くらい前に来てロビーで陳式の練習をする。
そんな彼も教室を去り姿を消した・・・



8月、9月
呼吸に凝っていたことから、「頸(けい)」も考えるようになった。
発頸するためには・・・これにも呼吸は関係するし、自然に体は沈む。
この頃から、太極拳は「気」だと思うようになった。
気は目には見えない。
太極拳もそうだろう。
「花拳繍腿 好看無用」「要武術不要舞術」
見られ方を気にする太極拳に疑問も持ちはじめた。
体を鍛え、訓練することで健康を手に入れる、その手段として太極拳を追及している教室で、
美しさを問われるのは甚だ疑問だ。
私も、正しい動きは初心者にとって最重要だと思う。
正しく正確な型をみっちり覚えないことには怪我をするからだ。私の左膝のように・・・
私の故障は左膝ばかりではない。いや、なかった。
腰を痛めたこともあったからだ。自分で原因がわかったので難なく克服することができたが、
原因の「穿唆(せんさ)」という動作は、以来私のトラウマになってしまった・・・



10月ー12月
「気」を考えていた私は、「経絡」も知りたくなった。
頭の中で文章を読んでそれを意識的に動作に表す。
体のどこに力点をおくか・・・どこに意識を込めるか。
「経絡」は体の前だけではなく、後ろ(背中)側にもあるのだ。
私は背中を意識するようになった・・・
例えば、「靠」する時、どこに意識をおきますか?
肩ですか?
はい、はい。肩でぶつかるんですよね。
でも、その時意識は「脳戸」眉間の裏にもおくんですって。
中国の学説って奥が深いですう〜

家では42式を独学していた。
42式には各伝統拳のエスプリが含まれているので、発頸も多い。
知ってる理論を総動員してかかっても、耳学問でさっぱり体得できてないんですけど・・・(焦)

以下は自主トレ用として99年個人的に購入したものです
購入場
表 紙
内 容
追 記
日本
日本語
(A5版)
郭福厚
「楊式太極剣」
1998年に香港の師父は「楊式剣」を始めていた。
次回の香港行きに備え私も予習をしておきたかった。
この本は説明が詳しかったので、ビデオがなくとも套路を覚えることができた。
これから「楊式剣」を始めたい方にお薦め!
日本
日本語
(単行本)
永井義男
「名言集」
中国で口伝されたという武術の奥義の名言集である。
日本で太極拳を学んでいる私にとって迷いや、悩みは多い。
でも、こういった先人の中国武人の「お言葉」を読んでいると「そうだよねっ!」と
励まされることがある。太極拳は中国の心。
日本
日本語
(A5版)
笠尾恭二・平上信行
「発頸の秘伝と極意」
笠尾恭二氏と平上信行氏の対談集。
「発頸」のことが知りたくて、題名だけで購入してしまった。
結局、極意などありはしない・・・
日本
日本語
(A5版)
茂呂隆
「脱力が解く」
副題が「合気、発頸、化頸の極意」
またも「発頸」のことが知りたくて、ダメ押しで購入。
ここにはメカニズムが科学的に書かれていて、太極拳ではなく、
合気道からの観点だったが、なかなか面白かった。
太極拳も、日本の武道も根底は同じ・・・
日本
日本語
(ビデオ)
李徳芳
「32式剣」
剣が覚えたくて購入。
だから私の剣の最初の先生は李徳芳です。
ていうか、今のところ32式に関しては李徳芳だけです・・・
日本
日本語
(ビデオ)
李徳芳
「42式」
特別講習会で中国人の先生がいらっしゃる時は
「総合42式」が種目になることが多い。
なので、その時に備えて予習しておきたかった。
予習用に購入。
日本
日本語
(ビデオ)
陳小旺
「陳式38勢」
「陳式」とはどんな動きなのだろう?と興味本位で購入
このビデオで「陳式」を覚えようとは思わないし、覚えられそうにもない。
陳式に関しては、伝統陳式から基礎をしっかり作ってから套路を学びたいと感じた。





「黙」
2000年
楊式剣・48式・陳式簡化・楊式

1月
太極拳を始めてまる3年。
3年といえば、「石の上にも三年」で何かひとつでも得るものがあって、それなりに展望も開ける時期。
だけど私は暗中模索の真っ只中。五里霧中とでも言うか・・・まだまだ私には学びたい課題が山済みだ。
「気」のこと。「経絡」のこと・・・年々増える一方でこなしきれないでいる。



2月
冬場は命がけの運転が必至。昼間クラスに通うことにした。
夜間クラスのM先生は「あっちこっち、ふらふらしやがって」と言うが・・・

昼間クラスで48式を見てくださったのは、トウ先生(女性)だった。
トウ先生は粘りのある足腰をしていて、私は羨望の眼を注いでいた。
トウ先生もナカ先生のように終わってから見てくださった。
48式は方向斜めが多く確認したい箇所がたくさんあし、「発頸」もある。

ずっと温めていた「楊式剣」を始めた。
香港の師父から「最近、剣も始めた」と手紙をもらってから温めていたものだった。
剣の練習は部屋の中ではなかなか思うようにできない。
型の練習はできても剣を持つには・・・狭すぎる・・・
32式剣を独学した時は時期的に春だったので、庭先でできたが、冬場はそうはいかない。
庭にはたんまり雪が積もっているから、私は近くの河原に練習場を移した。
さえぎる物がないので、川からの冷たい風が容赦なく襲いかかる・・・
毎日、本を片手に練習した。
2ヶ月ほどかかったが、最後まで通して動けるようになった。
ビデオがないので大変だったが、伝統剣の套路名と動作との関連がつかめたのは収穫だった。
M先生が抜粋のビデオを貸してくれた。
剣は拳より早めに動くものだと書いてあったが、実際ビデオの中国人もそうだった。
悲しいかな、即席で覚えたものは忘れるのも早い・・・(泣)



3月
48式の最後はアイ先生が仕上げてくださった。
実は3年前、アイ先生はピンチヒッターでたまたま夜間クラスで24式を担当された。
後にも先にも24式をアイ先生から習ったのは私たちだけだったのだ!
そして、同期生が消えた今となっては私ひとりだけになってしまったのです。
最初の先生ということもあって、私はアイ先生にとりわけ親近感をおぼえていた。
私は4月から「楊式」が開講されると聞いたので、どうしても楊式クラスに進級したかった。
(進級にはイヤな思い出がある)
さあ、どうするtuzi?



4月・合宿/陳式(1)
4月からアイ先生のクラスは本人の希望で42式か楊式に分かれて進級することになった。
楊式の指導はw代表。でも私はそのことをw代表に言うのがイヤだ!
また、何か言われるに違いないのだ!
イヤだ!絶対イヤだ!
w代表に言いに行きたくない!
w代表が口を開けば泣かされるに決まってる・・・
下手すれば却下されかねないのだ!
イヤだ!イヤだ!
そんなモジモジしている私を見かねてアイ先生がかわりにw代表に言ってくれた。
「ありがとうございますう!(嬉)」
私はこうして楊式クラスに潜りこむことができたのだった・・・

4月22日、23日の1泊2日で合宿に参加した。
この合宿に陳式の中国人先生がいらっしゃると聞いたからだった。
といっても、「老架一路」のような伝統拳ではなく、近年制定された「簡化36式」だった。
恐る恐る、合宿への参加申し込みをw代表に出した。
「おまえが陳式だなんて10年早い!!」
と却下されればそれまでの事。
「あのお、陳式は初めてなんですけど、私なんかでも受けられますか?」
「ああ、大丈夫じゃないか。初心者でも初めから教えてくれると思うよ」と承諾いただいた。
「ホッ♪」
予習がしたいので、w代表にテキストを注文した。
私は、まず頭に動作がインプットされてないと動けないのだ。
ところが、そのテキストが私の手元に届いたのは出発の2日前だった・・・

行きの列車の中でも予習は続いたが、焼け石に水だった。
合宿ではヘロヘロになりながらついていくしかなかった。
こんなに疲労したのは香港以来だ。
2日目は倒れそうだった。マジで。

帰りは、M先生運転の車にw代表、ノブさん(男性)、モウさん(女性)、私が便乗し帰途についた。
私はあまりの疲労で口もきけないほどだった・・・
「tuziさん合宿どうだった?」
と聞かれても
「・・・はあ・・・まあ・・・」
と間抜けたことしか言えなかった。
それに、喉は渇いてるし、空腹だし・・・
途中で食事に寄った。
食べたいけど、疲れ過ぎて早く食べられない私を尻目に
「tuziさん、早く食べないとなくなるぞ!」「遠慮するなよ」と殺生なことを言う・・・

いやあ、とにかくすさまじく疲れた合宿だった。
それもこれも、予習できなかったのが原因だ!
ついていくだけの習い方は何倍も疲れるものなのだ!!
案の定、帰ってきてから高熱がでて倒れてしまった・・・
5月の連休にも同じ先生が特別講習で我県に来る。
それまで2週間!
私は熱でふらふらしながらも、心を鬼にして予習に励んだ。



5月・特別講習/陳式(2)
毎日3、4の動作をノルマに練習しつづけた。
壁には套路の紙を貼って、テキストは書き込みで真っ赤になっていた。
自分ひとりで動けるようになれば、套路の分からないところが受講しながら確認できる。
今回は大丈夫!
確認もできるし、先生の動きも見えると思う!
よっしゃ!いざ!

思ったとおり、予習の成果はてきめんだった!
先生は私の書き込みだらけのテキストを目にして言った。
「なに、これ!?」
だって、そうしないと覚えられないんだもの・・・

完璧にできたはず(?)の陳式もこの時以来習っていない。
このまま風化していくのだろうか・・・?
いや、いや無駄なことなどあろうはずがない。



6月
昼間の教室は午前10時から12時まで。
私は弁当を持参してロビーで食べて、復習して帰るという毎週を送っていた。
そんなある日、衝撃的なことを聞かされた!

私は冬場、夜間クラスに行ける時はそちらに向かい、道の状態が危険な週は昼間クラスに通っていた。
だからといって、重複しないように気をつけていたのだ。
それが、誤解の元だったのだろうが、こともあろうに「tuziさんは週に2回受講している。それでいいのか!」と、
ある生徒さんからクレームが出たのだそうだ。そして、それが目下物議をよんでいる、と。

「私が問題なの?」

抗議を受けたw代表は、うまくかわしてくれたらしいのですが、私がそんな迷惑をかけていたなんて・・・

「それに、重複してないし!」

その細かいこと言ってる生徒というのが・・・w代表が言うに「金のたまご」だそうで、秘蔵っ子なのだ!
なんてったって、私とは扱いが天と地ほどの開きがあるのだから。
まあ、そんなみみっちいこと言ってるようじゃ私の目から見て見込み無し!なんだけどね。
人のみる目はわからんもんじゃ!
第一、私の出席なんかを気にする人がいたなんて
「くだらねえ!」



7月
またまた、問題発覚!
4月から楊式を始めた私を隠れ見て、「どうして楊式クラスにいるんですか?」
と、またもw代表に詰め寄った女がいた、とのこと。

「ばっかじゃないの?」

だって、そうでしょう?
他人が何を学んでいようと気にしたところで上達するんですか?
まあ、私はとことん目の敵にされてたみたいで・・・
それも、彼女ひとりでなく数人の女にマークされてたらしいのでした。

「知らねえよ!」

私、そんな暇じゃないもん!
教室で誰とも会話らしい会話もしてない私に、教室で友人もおるはずもなく・・・
それにしても、私ってトラブル・メーカーなの?
黙って、太極拳してるだけなのに、なんでこんなことに?
げに女は恐ろしや・・・
それ以上にくだらなすぎる。

私の耳に入れた人が「これも、社会勉強よ!」って言うのも
「それも、違うんじゃないか?!」



8月
7月にはアイ先生の総合42式の講習を受けた。
42式は昨年のうちに予習が済んでいたので、とても助かった。

私の太極拳は尻が出ているのだそうだ・・・
この頃から、こんな指摘が多くなった。
指摘される度「ハイ」と神妙に答えるだけだが、心の中では・・・
「こういう骨なんです!」
それに、中国の古典を見ると思いっきり尻が出てるんですけど。
「あれもいけないの?」
まあ、とにかく私の形はまずいらしい・・・
どうしたら直せるんでしょうか?
そこんとこ教えてください。



9月
4月から楊式を始めて、やはり伝統拳はいいな♪と感じている。
w代表の教えは教えとして別套路として覚えることにしていた。
同時に、香港の師父の動きも頭の中で描きながら、楊式を習う・・・
最近、陳式にハマッテいる私。
「陳式老架一路」を覚えたい!



10月ー12月
「推手」の必要を強く感じるようになってきた。
けど、「推手」は一人ではできない。大きな壁だ・・・
この時期から、今後のことを深く考えるようになった。
それだけ教室に慣れてきたということかもしれない。相変わらず余裕はないのだけど。
それと、相変わらず人の名前を覚えようとしないけど、やっと周りを見ることができるようになってきたし。

太極拳は今までどおり毎日続ける。
ただ、このままの状態で続けていていいのか?
「推手」ができないことも含め限界を感じるようになってきたし・・・我教室では「陳式老架」は教えていないし・・・
自分にとって最善の道は?
さあ、さあどうする?

以下は自主トレ用として2000年個人的に購入したものです
購入場所
表 紙
内 
追 記
上海
中国語
A5
陳微明著
「楊式太極拳」
この本の凄い所は、楊澄甫の若かりし時の姿が(40歳代と思う)写真で載っている点だ!
まだ、太る前なので「この人誰?」と思ってしまう。
他に、一問一答で太極拳を学ぶ上での回答が興味深かった・・・
上海
中国語
B6
人民体育出版
「陳式太極拳」
陳式の理論と「老架一路」「老架二路」「推手」がすべて一冊に納められている。
套路は写真ではなく、イラスト。
超お得な一冊だが、陳式にはいまだに手付かず。
上海
中国語
B6
「楊氏太極刀、槍」
楊式の武器類の本は数種類並んでいたのだけれど、ケチって一番安いのを購入。
3年経った今になっても全然読んでいない・・・
‘安物買いの銭失い’とはこのことか。
香港
中国語
B6
陳小旺
「陳氏38勢」
ビデオは持っていたので、とりあえずテキストになるだろうと購入した。
でも、やっぱり読んでいない・・・
香港
中国語
B6
北京体育大学出版
「楊式太極拳」
香港の師父からいただいた本。
太極拳の歴史から頸論(26種頸)、「気法」「太極拳」「剣」「刀」「攻防」の
すべてが収まっている。「納めすぎだろっ!」って感じ・・・
最近、日本でも出版されたようです。(2003年)





「闇」
2001年
楊式・42式剣

1月ー3月
私は数回にわたって香港の師父を訪れ、楊式を教えてもらった。
香港に限らず、日本の教室で壁にブチ当たると中国に行きたくなる・・・
中国で早朝の太極拳にまぜてもらうと、本来の楽しい太極拳に返ることができる。
のびのび、ふかーく息を吸って、気持ちよく、自然に動くことができる・・・

これで初めて健康になれるというもの

私が中国に行って太極拳してきたと言うと、大先生について習ってきたと誤解する人がいる。
私が中国で見たいのは、公園の太極拳だしさ。
M先生にいたっては、中国各地で複数の先生に習うのは「やめた方がいいな」と、ずれたコメントをくれた。
私、先生と言われる人に習ってないんだけど。
あー、中国行きて!!
いっそのこと住みてぇ!!



4月ー6月
5月特別講習会

今年は中国人講師の方がふたりみえられる。
ひとりは常連のC老師、もうひとりはL老師。
L老師は「孫式」で数々の優勝経験があり、北京体育大学で指導にあたってるという。
現在は日本の大学に留学中だそうだ。
私は、そのL老師に習ってみたくて、42式を希望した。
広い競技場の中にひときわ目立つ美貌!!

「あの人かな?」

L老師はブルーのウインドブレーカーを着ていた。遠目には、すんなりした体型の青年だったが、
近寄ってみると、服の上からでも胸板が厚そう♪に思えた。
太腿も筋肉で盛り上がってそう♪そんな体型だった・・・。

体型よりも私の目を引いたのは、L老師のうなじ♪だった。
整髪したてのうなじはきれいに刈り上げられていて、清潔感でムンムンしていた。

とにかくステキ♪なのよん。

練習が始まった。
いつもなら、一番後ろに陣取る私だが、今回は押されるまま前に並んだ。
隣りは偶然アイ先生。
アイ先生は以前にもL先生と面識があるのだそうだ。
そのせいなのか、なぜかL先生の視線はずーっとアイ先生に定めていた。
その隣りの私からの熱い視線を完全無視して、ずーーっアイ先生に注がれている・・・

なんでやねん!

私はなんとかして、L老師と目を合わそうとして、念波を送ってもみたが無駄だった。
まあ、そんなこんなで講習もさることながら、L老師はステキだった♪


黎明(レオン・ライ)
L老師はこんなかたです。
でも、L老師の方がずっとステキ♪よん


講習二日目
今年は練習の成果を表演しなければならないのだそうです。
練習は午前中のみ。

表演の位置決めをL老師がしてくれた。
アイ先生が「四隅を決めて下さい」と、L老師にお願いしていたからだ。
私はアイ先生の隣りだから、ペースをアイ先生に合せればいいわけだ。
そう思って安心していたところを、L老師に変えられてしまったのだ。
しかも、入場する時、先頭になる前端。
私の後ろになってしまった指導員の先生にはいやみ言われるし、
少しでも前で目立ちたいおば様には小突かれるし・・・

「しょうがないじゃんっ!!L先生命令なんだから!!」

おまけに始めの号令まで私の係りなんだと!
とっさに「不行、不行!」と辞退した。

表演は無事終了。
L老師にまた会いたいなあ・・・



7月、8月
楊式も佳境にさしかかってきた。
私は、教室で滅多に話すこともないし、親しく話す友人もいない。
休憩中も、毎週配られる「通信」を読んでいたりして、人と顔を合わすこともない。

こんな私でも、話しかけられれば話せるんです。
楊式を習ってる間はタカさん(男性)が近くで休憩をとることが多かった。
5月の講習会では、タカさんが私の表演中の写真を撮ってくださっていた。
太極拳している写真は持っていなかったので、この時の写真は好い記念になった。
その、タカさんも教室を去り姿を消した・・・



9月・温泉合宿/初段審査
1泊2日。登山、温泉、太極拳合宿。
これぞ、私が待ち望んだ合宿である。
登山はおいといて、温泉に目がない私は、迷わず参加を決めた。
楽しかった♪
教室がらみで、こんなに楽しかったのは3年ぶりかも・・・
太極拳の練習場も広い体育館で気持ちよかったし。
こういう合宿を恒例にしてくんないかなあ・・・



9月24日に初段審査がある。
毎年行われているのは知っていた。
私にはとっくに受験資格があったのだが、言いだせずにいた。
今回もそうだった。
受けたいけど、w代表に申し込むのがイヤなのだ!
だって「おまえなんか10年早い!」って言うに決まってる。
じゃなくても、なにかカチン!と来ることを言われるに決まってるんだ。
そんな思いまでして受けなくてもいい、と思っていた。

ところが、事は私の一存だけでは済まされなかった・・・

「tuziさん受けるよね」
「受けるんでしょ?」
「受けなさい!」
「早く、言いに行きなさい!ホラ!」

ちょうど、今年受ける人たちがゴヤゴヤと向っていた。

ドサクサにまぎれて・・・
「受けたいのですが・・・」
「ああ、いいんじゃない。まあ、あんたの場合受かるかどうかわからんがな。ガハハ・・・
だから、イヤだったんよ・・・(泣)

試験当日は風邪で熱があった。
受験者は朝早くから実技を見てもらっていたが、私は試験に間に合うようにギリギリで到着。
はじめは筆記試験。次に実技。
実技は経験年数の長い人順、私は最後。

結果は全員合格。
ただ、筆記試験は私ひとり満点だったそうで、せめてもの救いになった。
この時、初段になった中で指導員の声がかからないのも、これまた私ひとりだが・・・
些細な「ひっかかり」を我慢して堪えていると、爆発した時に大きくなるものだ。
そう言えば今はいらっしゃってないイトーさんのペンネームは‘休火山’だったっけ・・・



10月ー12月
初段になったことは、以外な人からも喜んでいただけた。
教室では、黙している(おとなしい人だと思われてる?)私だが、見ている人は見ているようで・・・
高校の大先輩(女子高)には「同窓会で披露したら?」なんて言葉まで。
たまたま、私はその同窓会で司会することが決まっていたので、どのみち無理な話だったが
大先輩は後輩(私にとってはもちろん先輩にあたる)と連絡まで取って積極的に働きかけてくださった。
ありがたい話である。

そんなある日、「なんだか視線を感じるな」と思っていたら、見慣れないおっちゃんが私の太極拳を見ていた。
「見学か・・・」と思っていたら、「はじめてどれくらいですか?」と聞かれた。
私はいつも、「はじめたばかりです」と答えることにしているので、この時もそう答えたように記憶している。
今度は私が「太極拳したことは、おありですか?」とたずねたら、笑って答えなかった。
そのおっちゃんはなんと、支部の大先生だったのだ!
「えーっ!?」
私ってばものすごく失礼なこと聞いちゃったじゃないのさ!!
大先輩の教室の大先生だったのだ!
大先輩は「褒めてたわよー。あなたのケイリョクがすごいって言ってたわよ!ところでケイリョクって何?」
と私に報告してくれた。

「頸力ですか?さあ、なんでしょうね?(笑)」

以下は自主トレ用として2001年個人的に購入したものです
購入場所
表 紙
内 容
追 記
日本
日本語
A5版
陳正雷
「老架二路」
伝統陳式太極拳は「老架一路」と「老架二路」がある。
一路はゆっくりで長い。一方、二路は発頸だらけで短い。
普通、陳式の初心者は一路から入るものだ。
この本を購入する時はそんなこと知らなかった・・・
日本
日本語
A5版
郭福厚
「推手訓練秘訣」
私はこの頃から「推手」の必要を強く感じるようになっていた。
でも、いくら本で読んでも相手がいないのではどうしようもない・・・
日本
日本語
ビデオ
李徳芳
「42式剣」
42式剣は競技用套路である。
さしあたって必要な套路ではないが、とりあえず覚えておくことに。
「備えあれば愁いなし!」





「試」
2002年
13勢刀

1月ー2月
今期中に楊式を仕上げると言う。2000年4月から2年も習っていたのだろうか・・・
この2年は早かった。
夜クラスに顔を出した時は、ナカ先生の48式に入れてもらったりして「一匹狼」ぶりを大いに発揮していた。
自分のクラスがない憐れともいうか・・・



3月
北京に8日間行ってきた。太極拳武者修業の旅だった。
推手ができない悔しさが身に沁みた。

私はこれまでの5年間何をしてきたんだろう?

私は私なりにベストを尽くしてきた。
少なくとも、教室の人たちの何倍も勉強してきたと自負している。

それにしても全然なってない!いったい何がいけなかったのか?

北京の太極拳愛好者と互角に渡り合えなかったことが悲しかった。
(詳しくは修業記2002年北京をご覧下さい)



4月ー6月
13勢刀が始まった。
刀はいわゆる‘青龍刀’を使うが、本来‘青龍刀’は陳式の武器である。
13勢刀は基本的に‘楊式刀’を使うべきである。
‘楊式刀’は日本刀のように細く長い。私はどちらも持っている。
‘青龍刀’は2000年上海で、‘楊式刀’は2002年北京で手に入れた。
13勢刀を習い終わったら、この教室で受講できる総てが習い終わる・・・。


5月特別講習会
残念なことに今年はL老師は来ない。悲しい。
今年はC老師と若者F老師。

C老師は42式剣担当で、若者は総合42式担当。
42式剣はS老師に教わったことがあるし、C老師にはまた習う機会があるだろうから。
私は若者の総合42式を受けることにした。

F老師は総合42式の攻防の実践を、受講者の若者を相手に何度も見せてくれた。
私も、実際投げられたり、技をかけるのが好きなので、「私に技かけてー」と詰め寄った。
私のようなへなちょこ相手じゃ、向こうが困るだろうが、こんな機会は滅多にない。
馬歩靠をふんっ!ふんっ!と、懸命にかけていたら
「骨が当たって痛い」と言われてしまった・・・。
このことを話したら、アイ先生は「そんなに丸くて?」と信じてくれなかったが・・・

実に楽しかった!
相手がL老師だったら言うことなしなのに・・・
L老師に会いたいなあ・・・技かけられたいなあ・・・

老師ふたりを送りがてら駅に行って、食事を取った。
C老師は日本語も堪能で、ホントに話し好きな人だった。話し始めると止まらない。
C老師は制定拳の規準を定める立場の方だが、なかなか進まないと言っていた。
ならば、民間に伝わる徒弟制の伝統拳はどうなってるのか、聞いてみた。
「調査した資料はどっかいっちゃった。まったくつかめてない」だって。

そういえば、講習中になんだか遠くから視線を感じると思っていたら、隣りで剣を教えていたC老師だった。
全員で練習している時も、最後尾にいたはずなのに、いつのまにか後ろにC老師がいて、びっくりしたり・・・

私の動きが変だから?

と思っていたら、食事の席で「なかなかいい動きだ」と褒めていただいた。
しかし、アイ先生いわく「おだてて、自分の教室の宣伝してるんだ」と。
そうなの?糠喜びだったの?
しかも、C老師が帰られたら、w代表からボロカスに言われたし・・・
それを聞いてた他の先生からは「今までのは夢、w代表が言うのが現実よ」とまで。

私の動きってそんなにヒドイの?



7月ー9月
炎天下の中、刀の練習。
暑いのは苦にならないが、紫外線は勘弁してほしい。痒くなるんです。
私は長袖にサングラス、手袋の重装備で練習にのぞむ。
すみません、この緊急事態に礼を尽くしている場合ではなかったのです。
おば様方も、お肌のことを考えて、日差しを避ける帽子、水分持参だった。
13勢刀がひととおり仕上がる。



10月
今期は休みます。自主トレに専念します。
県大会に参加することに決めたので、オリジナルの套路を作らねばならないし、大会に専念したい。
私は夕方4時から5時と時間を決めて、毎日河原に出かけた。
とにかく体に馴染むまで徹底的に叩き込んだ。
今の実力以上の力など発揮できないのだから、自分のベストを尽くすだけなんだけど・・・。
(詳しくは、競技大会をご覧下さい)


マイ自主トレ会場
芝生の上は気持ちがいいが、木陰が欲しい



11月・12月
大会も終わって、少し練習を休んでいたが、来年2月の香港大会に向けて練習を始めねば・・・
香港では「総合42式」に参加する。
(詳しくは、競技大会をご覧下さい)

が、仕事が立て込んでいてうまくいかない。
結局、サボってしまった・・・
来期も教室は休みます。
・・・こんなに長い休みは初めてだ。

以下は自主トレ用として2002年個人的に購入したものです
購入場所
表 紙
内 容
追 記
北京
中国語
B6版
敢桂香
「42式剣」
李徳芳のビデオでひととおり動けるようになっていたが、テキストは持っていなかった。
やはり頭で攻防を知っておかないと、動きに説得力がなくなるし、
ビデオは方向が鈍るので、このテキストで確認できてよかった。
北京
中国語
VCD

張俊峰
「楊式剣」
張俊峰は太極拳の競技大会で優勝経験を持つ選手である。
伝統剣というよりは、競技用に近い動きだ。
中国のVCDはつくりが粗雑で画像も悪いし、撮影は屋外だ。
このVCDなんか強風の中の撮影で、服がパタパタしてて動きが分かりづらい。
でも、見れるだけ良しとしよう・・・
北京
中国語
VCD(2枚組)
馬春喜
「36式刀」
刀の勉強を始めたいが、種類がありすぎてどれから始めてよいものか、
さっぱりわからない。
「まあ、いいや。とりあえずこれっ!」と購入。
馬春喜とは2003年香港国際大会でお会いした。
副審判長としていらしていたが、帰ってきて改めてVCDを見たら
「国家級裁判」の肩書きもお持ちだった。
北京に住んでいらして、このVCDの監修も李徳印先生がしていた・・・
「偉いおばちゃんだったのね・・・」
北京
中国語
VCD(2枚組)
黄康輝
「養生太極推手」
黄康輝さんは北京体育大学武術系講師である。
朝の太極拳講座番組に出演講師もしていた。
(偶然北京のテレビで見た)陳式の方らしい。
このVCDは懇切丁寧に解説してくれているが、残念なことに音声がガチャガチャで
聞き取れない。中国でVCDを購入する際は、画像、音声共にこういった
リスクを覚悟の上で購入しよう!