2008年 県大会

孫式剣
昨年は全国大会の前に次の県大会の申し込みをせねばならないという、あわただしい中での準備だったが、
今回は申し込みまでに少し余裕があった。
7月に全国大会が終わって、次の県大会最終申し込みまで3ヶ月ほど。
それまでに新しい種目があらかた仕上がれば、申し込んでも大丈夫ではないか。
毎年のように「今度こそは八卦掌!」と呪文のように唱えているが、それは現実になりそうにない。
だから今年の狙いは「孫式剣!」
「孫式自選」をここ数年続けてきて、せっかく孫式の向上を志して勉強してきているのだから
武器だって使えなきゃその道を極めることは出来ないだろう。
もっというなら、孫式を志すもの形意拳だって収めにゃ!
八卦掌だって収めにゃ!(だからそれは無理っ)
といったわけで、今年は「孫式剣」もエントリーした。

全国大会終了後すぐに孫式剣の勉強を始めた。
10月の最終申し込み締め切りまでに物になるかならないか見極めたかったからだ。
以前から手に入れていた孫剣雲女史の孫式剣と孫永田氏の映像を見比べながら時間を検討するところから始めた。
孫剣雲女史は2分、孫永田氏が4分。同じ套路でも時間的には孫永田氏がベストだ。
が、理論的なことを吟味すれば、その内容は孫剣雲女史が格段に優れていることはいうまでもなかった。
私は本(孫剣雲女史著)も片手に套路の勉強に入った。
3ヶ月間は套路を一から覚えるのに決して長い時間とはいえない。
だからといって上っ面だけを流して動いてみても、それでは意味がない。私は地道に毎日少しずつ覚えていった。
剣雲女史で覚えて、永田氏のと見比べる・・・そんな作業を繰り返していく。
そうすることで改めて剣雲女史の凄さに気づかされた。

孫式剣は形意剣と八卦剣の融合だ。
剣雲女史はそのどちらも出版していたはずだが、孫氏形意剣の映像はついに手に入らなかった。
(どなたかお持ちの方がおりましたら連絡いただけないでしょうか。宜しくお願いします)
孫式拳も、もちろん同様だ。
三体式をとる形意拳の要素、変幻自在の八卦掌の要素、それは孫式套路の中にはっきり現れており、
演者はそれを意識して表現せねばならない。孫式剣でも同じだ。
どの型が形意剣か八卦剣かを知っておく必要がある。
私の初めての孫式剣への挑戦は3ヶ月経ってだいたい半分くらいまで進んだ。
このペースなら3月の県大会までに何とかなりそうだ。
計画は年内に套路を完成させ、年明け練っていく・・・だった。

予想外・・・
順調に套路を覚えてきたが、後半苦戦。このままでは年内に套路が完成しない。
それに剣にかかりっきりで、孫式自選の練習に入ってない!皆無!
そんな時、父と母が年末に体調を崩した。家族揃っての年越しすら危ぶまれるような年末の数日間。
なんとか無事に年を越せたが、母の不調は年明けも引きずって、
私は練習どころではない毎日を過ごさねばならなくなった。
それにしても剣は套路途中まででストップしており、このままでは収勢できない。
自選套路を新たに作り直す計画はお流れとなり、というか、以前の套路すら思い出せるかどうか怪しい・・・
県大会への時間は迫ってきているが、なかなか練習は出来なかった。

2月も半ばになって、ようやく河原へ自主トレに行くようになった。
また、孫式剣を練習し始めたのだが、風が強い日などは思うようにできない。
孫式自選も練らねば、と剣と合わせて練習を始めた。
2月だというのに、ものの10分も動くと汗ばむほどの運動量だ。
ウインドブレーカーの上下で行っても、暑くなってTシャツ一枚になって動いていた。
「剣も拳も運動量が多くなったんだ」と感じた。
というのも、今回の試みは三体式での架式をできるだけ低くすることにあった。
孫式拳でのその部分が毎年腑に落ちないままだったのだが、今回孫式剣をしてヒントになる点がいくつかあった。
それを孫式拳にも取り入れてみると、自分の中でも意識が変化した。
これまでも、毎年新しい試みを重ねて、自分の中で変化させながら少しでも孫式の完成に近づけようとしてきた。
その時点でのベストの孫式を作り上げて大会に臨んできていたが、今回も新たな境地に立てそうな気がしている。
これはきっと他の人には分からないことだと思うが、私の中ではハッキリと違うのだ。

私の孫式剣が完成したのは2月下旬。大会の5日くらい前のことだった・・・
一日でも練習をおろそかにすることはできないくらい切羽詰っていた。
大会の2日前のこと。
その日はとにかく風が強く、河原で剣の練習は無理と思われた。
私は急遽いつも教室で借りている公民館に電話を入れ、1時間ほど貸してくれないか頼んでみた。
その対応は相変わらず無愛想で、イヤミも言われたが、どうにか貸してもらえることに。
この時とばかりみっちり練習した。
大会前日も春の風はおさまらず、練習は自粛。体力温存で明日に備えることにした。
前日になってまで練習に根をつめ、筋でも違えたら大変だ。
練習はほどほどにしないと、マラソンの高橋尚子になってしまう。
私の目から見て彼女は練習法を間違えている。中国で下痢しながら練習してなんになる?
体調壊してまで高地だからと居続けて、それで練習になるというのか?
ケガをするような走り方で、いくらがんばってみたところでそれは練習とはいわないだろう。
彼女の練習に対する考え方は間違ってると思う。
金メダリストで国民栄誉賞の彼女に向かって、8.5選手の私が言うことではないが、
ケガをするようでは、やはり彼女の練習が間違っていたとしか思えない。
食生活にしろ、体調がおかしい、と感じても練習をストップすることをしなかった。
その責任は彼女の練習に対する考え方に誤りがあったと思わざるをえない・・・

当日のこと
進化させたとはいえ孫式拳はこれまで表演してきているから、あまり心配はしていない。
套路さえ真っ白にならなければ・・・
真っ白になるかどうかは練習量によるものだ。私はそう思っている。
真っ白になっても練習を積んでさえいれば体が勝手に動いてくれる、そう信じている。
これぞ無の境地じゃないのか?!
それより、心配なのは孫式剣のほうだ。だって、これこそ真っ白になったらアウトだ。
練習量はおろか、やっと収勢まで覚えてきたにすぎない。それにコートからはみ出る可能性大!
私はコートからはみ出ても減点さえないものと勝手に思い込んでいた。
これまで楊式刀をしたことがあるが、コートのことを考えた事はなかった。
元々楊式刀ははみ出るような套路ではなかったからだ。
でも今回の孫式剣は違う!くるくる回るし、後ろへも下がる・・・
コートの左も右も、後方も、全部はみ出る危険性ありあり!(爆)
当日の練習場も用意されているが、そんなとこで動き回ったら他の人の迷惑になりそうなくらい
動き回る套路なのだ。
ま、今更どうにもなりゃしない、はみ出たらはみ出たでよか。どっちみち得点なんて期待できないのだから・・・

プログラムでは初めが刀剣、その後1時間ほどしてから孫式自選。
一種目めが終わってから1時間の空き時間に次の孫式自選の練習をすればいい。
なので、会場に着いてから私は気がかりな剣の練習だけをしていた。
今年は刀剣にでる選手が多く、私の出番は最後から3番目の組。最後の組はひとりの演技。
孫式剣は私ひとりに決まってるから、どうせならその最後の一人になりたかったところだが私にはお相手がいた。
その彼女は陳式剣とのこと。ひとりで表演するのは初めてと言い緊張してる。こっちにまで緊張が伝わってきた。
刀剣は32式も42式も私たちのような陳、孫の伝統拳も同じ種目枠で競われる。
それで私たちは組むことになったのかと想像できた。
それにしても、私はまだコートからはみ出るのでは、とそればかり心配で、
どの辺から始めようかジーッとコートとにらめていた・・・
陳式の彼女も「私前のほうに出ちゃうんですよね」とやはり悩みは同じで、はみ出し問題のようだ。

演技開始!
孫式剣は大きく前半と後半の2段階に分かれている。
時間的にはゆっくりしても、いつも3分半くらいで終了してるので、その点は心配ない。
落ち着いて丁寧に進めればよい。前半は三体式がふんだんに盛り込まれた形意剣の要素が強い。
コートの左右、端から端までめいっぱい動く。後半は八卦剣が入ってきて、前後と円を描いて走り回る。
同じ動作が繰り返されることもあるので、套路ど忘れが命取りだ。
もし後半で套路ど忘れが発令されたら、延々とコートを回り続けることになるだろう(笑)
そして、私の演技も集中力を欠くことなく順調に進んでいた・・・
後半、コートからはみ出しそうになったが、なんとか堪えた。
その直後!
Aコートの彼女が終了し、コートを降りる姿が視線に入った。
「え?時間?笛鳴ったっけ?聞こえてないし・・・(汗)」
いつもなら終了前の笛が聞こえるはずなのに聞いてない。
でも既にA選手はコートを降りた。
それからは、どうやって収勢したか覚えていません(爆)
とにかく、収勢して下がったんですよ・・・うむ。
審判団がコート中央に集まって長い話し合いが始まった・・・
「(・・・えっとー?はみ出しそうになって・・・で、そこからもう一歩下がるはずなのに、
でてないってことは型をひとつ飛ばしたか?・・・いや、それならなぜ収勢できたんだ??)」
「(審判団が集まってるってことは、私のはみ出し問題が議題なのかな?)」
ずっと立って点数が出るのを待ってる間、私はどうやって終わったのか、そればかり考えていた。
あ〜、やっぱり練習不足だったよね。
どうやって終わったか覚えていないなんて、まるで酔っ払いがどうやって家に帰ったかまるで覚えてないけど、
朝目を覚ましたら自宅のベットにちゃんと寝てた、ようなもの。
なーんか、A選手につられて慌てて終わらしたみたいな・・・
練習が足りなかったよね。
収勢直前のことは全然思い出せないんだもん・・・
結果、A選手と私は同じ8.45。順位は21人中8位。
どうやって終わったか覚えてない、っっていうのは甚だお粗末。
さ、「どうやって終わったか」なんていつまで考えててもしょうがない。
次の練習せねば!
あら?
時間が押してて1時間余裕だったはずがあと15分しかないじゃないの。
でも練習しなきゃ、(焦)
受付に確認したところ、当初の時間になったら始めます、とのこと。
「どうしても練習したいのです。すぐ戻りますから」と駆け足で遠く練習場まで走って、
一度確認しただけでまた競技場にダッシュで戻った。
ぷ〜、疲れた〜・・・
てか、戻ってみると、隣のコートの競技(音楽入り)が終わらないとこっちコートの競技が始められないんだと。
それを初めに言ってくれよ!
しかも、呉式の選手、コートの上で練習してるし!
なんだよっ!言ってくれればわざわざ練習場まで行かないで済んだのにぃ!
行って戻るだけで疲れてしまったので、椅子に座って休んでいた。
そこへ呉式の選手が。
「さっきの剣は何式?」
「孫式です」
「おもしろい套路ね」
「回ったりするのね」
「そうですね、孫式は形意剣と八卦剣が一緒になったようなものですから」

隣のコートの音楽が鳴っていたが、審判団が入場してきた。
受付の選手誘導の人が早くも私を誘導しコート端に立たせて待機させた。
「(まだ隣の音楽終わんないじゃん、まだ早いんじゃないのぉ?)」
案の定、私は延々立たせられる羽目になった。
「(早すぎるだろ・・・)」
ようやく名前を呼ばれコートに。
套路は昨年と同じだが、動作は今年バージョンで三体式を意識した‘ニュー孫式’である。
架式が低い分、うかうかしてるとすぐ時間を超過する。
サッサと進めるにはそれなりの体力がないと踏ん張れなくてへばってしまう。
終了前の笛が鳴った!今度はハッキリ聞こえた。
おっと、時間足りないか?(焦)
このままのリズムでは超過してしまうかも。
だからといって急にリズム変えるのもおかしいし。
収勢して袖に立つと、またも審判員が集まった。
「(こりゃ、時間超過問題かな?)」
「A選手、最終得点8.53!」
ん?減点なし?
てことは時間内に終わったってことね?
それにしても毎年毎年8.5点台ばかり。さっぱり伸びないねえ・・・

閉会式で
ギャラリーの反応を聞くことだけが唯一の楽しみの私は、一緒に行った連れにリサーチを頼んでいたのだが、
今年は、さしたる反応もなく、みんな無言でコートを見つめていただけだった、とのこと。

閉会式で整列した時、隣りは先ほど「おもしろい套路ね」と言っていた呉式の先生だった。
この先生は私が太極拳を始めた時にお世話になった先生で、気心も知れているお人である。
その先生から、「がんばってるわねー」と。
「いえー、大会直前にしか練習しなくなっちゃってて」
「そんなことないでしょ。だとしてもちゃんと大会に合わせて来るんだから大したものよ」
そう言われて恐縮して小さくなってると、
「そーいえば誰だったか言ってたんだけど、教室開いたんだって?」
ぎょっ!
ここでそんな話がでるとは想定外です!あまりにびっくりして、しどろもどろになってしまった。
「だ、だ、誰に聞いたんですかぁ?(漏れるはずないんだけどな)」
「誰だったかしらねぇ・・・夜間してるの?」
「はあ、まあ・・・隠れてしてるんですけど・・・(誰も知らないはずなんだけどな)」
「何も隠れなくたっていいじゃないの」
「・・・はあ、でも生徒さんいないんです。毎月毎月いなくなって今では2,3人・・・(悲)」
「あーら、もったいない話ね」
この話し、知れるはずがないんだから‘鎌掛けられた’んじゃないか、と。
そうなんですかぁ?
先生そりゃ、ないよ。
あたしゃ、鎌にかかっちゃったってことですかぁ?(笑)

留守電
感動もなく、淡々と競技を終えて家に帰ってみると留守電がパカパカ点滅してる。
「まさかぁ、県大会今日終わったばっかりじゃない。それはないでしょ」と思ったが、留守電を聞いてみると、
そのまさかの全国大会行きの件だった。
時期が時期だけに急ぎとの事。次回の県大会時期も早まるそうで。

申し込んでは追われるように練習し、申し込んでは気ばかり急いで・・・こうして短い一年が過ぎていく・・・
教室持ってからは一週間も短い。‘自分の太極拳’を見失いそうだ。
それは大会出場がそうしてるとばかりは言えないことであるが、
大会がメリハリになったり、自分の太極拳のための目標だったりすれば‘充実した一年’ともいえよう。
でも、最近では大会に合わせた新しい自選套路を作る時間すらないありさま。
ただ、大会に照準を合わせて練習を積むだけで、いや、練習を積むのはいいのだが、
その何というか、深めていけてるのか・・・どうなんだろう?
ただ大会で恥ずかしくないように‘形だけ’取り繕ってはいまいか?
・・・そう、自分でもよく分からないのだ。
私の太極拳は「進歩してないんじゃないか」「むしろ下手になってきてるんじゃないか」と常に思っていて、
だから勉強や練習を怠るということに恐怖を感じている。
いつでも変化できるよう、向上してると自分で確認できるようになりたいのだ。
‘自分の太極拳’を見失ってしまうんじゃないかという恐怖。
だからといって‘自分の太極拳’に定義があるか、というと、それもないんですよ。
‘自分の太極拳’そのスタイルは常に変化し続けているし、この先おわりも見えていない。
ただひとつ言えるのは、このところ大会に追われる一年になりつつある、ということ。
それは不本意だ、ってことなんです。
自発的に‘自分の太極拳’を探すべく太極拳の勉強をするならともかく、
外に合わせて、例えば大会のために準備する練習だけになっしまうのはどうしたものかな、と。
大会に出場し始めて5年。
点数的にも進歩せず、この5年で果たして‘自分の太極拳’が探せたかというと、それでもなく、
より近づけたかというと、時間的に追われるばかりで深める練習などできていない。
結果的にただただ大会日程のサイクルに合わせて慌しく過ぎる一年を過ごしてきた気がする。
さて、ここらでもう一度立ち止まって、自分に還る時が来たのかな、と感じた今大会でした。
なーんて、こんな風に感じるのは、あまりに準備不足だったからだろうか・・・。




2008年全国大会

ベストを作りたい!
7月初め、大会前に東京教室でもう一度孫式を練習しておきたい思い行ってきた。
(詳しくは「自主トレ日記」7月)
そこで思いもかけずL先生からアドバイス(?)正確には注意され、課題が残った。
大会まで一週間。
その間に注意されたヶ所を直したい!
歩法を訂正することから動作全体を直さねばならない。これは大変な宿題だ。
生徒さんで選手の人からは手の動きも指摘された。
気をつけてもクセがついているからこちらは更に大変な作業になりそうだ。
指摘されたこと、L先生に注意されたこと、全部直してベストを作って大会に臨みたい!

悲しいお知らせ
東京から中央線で新宿にまっしぐら!
そう、新宿といえばペチカロシア料理のバイキング。
「久しぶりじゃのう・・・」
伊勢丹別館にまっしぐら!
「暑いよ〜」
モワ〜・・・うだるような暑さだ。
「息が・・・息が・・・できない・・・」
猛暑の中、やっとこさ伊勢丹別館に到着。
ふと、伊勢丹別館の看板を見上げると・・・ペチカの文字がない。
「あれ?前から看板出してなかったんだっけ?」
入店して出店している看板を探したけど、ペチカがない。
「あれあれ?」
エレベーター近くの看板を探してみたが、やっぱりペチカが出ていない。
「おっかしいなぁなくなっちゃったの?」
そんなバカな!
あんなに繁盛してたのに。あんなに美味しいロシア料理だったのに。
私は間違いであることを期待し、階段を使ってお店に行ってみた。
「!」
ガーン!
懐かしのペチカはシャッターが下ろされ、ポツンと張り紙が一枚・・・
「ペチカはこのたび閉店と相成りました。皆さま長らくご愛顧くださいましてありがとうございました」
「そんなあ・・・」
しんじらんなーい。移転ならともかく、ただ閉店としか書いてないなんて・・・(悲)
みんなロシアに帰っちゃったの?
悲しいよぉ、もうあの美味しいロシア料理が食べられないなんて・・・(泣)
祈願!ペチカ復活!(涙)

そして発見!
ショックだ〜。ペチカがなくなってるなんて・・・
今日は腹いっぱいペチカの料理食べて元気100倍!大会に臨もうと思って来たのに・・・
ガックシ。。。
出鼻をくじかれて、しかも外は猛暑だし。この荷物を持ってあまりウロウロしたくない。
「どこでご飯食べよう・・・」
中野まで行って、去年のインド料理のバイキングでもしようかな?
この暑さで消耗した体力を回復するには。うん、それも悪くないな。
でもこれから中野までは時間のロスだし、中野の駅からもけっこう歩かなきゃなんないし。
「どーしよー」
そんなこと考えながら、とりあえず新宿駅を目指して歩いていたら、
歩道に迫り出して安いジャージやオヤジ服なんかが並んでいて。・・・なんか私好みの品揃え♪
眺めてるだけでも「落ち着くよね〜♪」って感じ。
「ここはなんぞや?」
吸い込まれるようにビルに入っていくと、そこはちょっとしたエレベーターホールになっており、
どうやら上の階にはレストランがあるみたい。それも2軒。
一軒は4階に洋食で、もう一軒は5階に和食のお店・・・経営は一緒かな?
3階まではゲームセンター。
地下に下りる階段もあった。そこはお惣菜や弁当も置いてあるふつうのスーパーになっていた。
「ここで食べちゃおうかな」
もう歩くの疲れたし、ここで食事することにした。
「冷やし中華も美味しそうだけど、オムライスもいいなあ・・・いやまてよ!元気100倍にはうなぎか?」
とりあえずエレベーターで行ってみることに、その名も「はやしや」へ・・・
「うな丼ください」
冷奴と味噌汁がついたうな丼を食す。
味はまあまあ。
それにしても店内はある意味異様な雰囲気が・・・
秋葉原系のオタクがいたかと思うと、囲碁の棋譜を持ってるおじいちゃんがいたり、
女子高生ふたりを連れて援助交際か?と思わせるスーツ姿のいかがわしいおじさんがいたり、
家出なのか?というような大きなスーツケースをガタガタいわせながら入ってきた
ギャル曽根風メイクのおねえちゃんもいた。その脇には、新宿の地主を思わせる紳士な御老人が食事してたり・・・
「ここっていったい・・・?」

食事をすませ1階に戻って店名を見た。
「三平」
地下のスーパーは「三平ストア」
‘さんぺい’と読むのだろうか。それとも‘みつひら’とか?
私が食事した店名は「はやしや」だった。
はやしや・・・はやしや?
あ!
はやしや・・・さんぺい・・・(爆)
林家三平じゃん!(ガハハ)
というわけで、ペチカなきあと新宿といえば、はやしや三平ってことできまりっ!

鬼のように
うな丼で満腹になったことだし、千駄ヶ谷へ直行!
今年の私の出番は最後、名簿の最後。Bコート。
今から着替えてすぐ練習すれば1時間はできる。
一週間前に注意された動きを馴染ませるのに、ゆっくりペースで滲みこませていたため
時間が4分以内で終わるように、まだ仕上がっていないのだ!
それを4分以内に収めるペースをこれからの練習で掴まなければならない。(←急げっ!)

会場に着いて、着替えを済ませすぐ練習場に向う。すでに孫式の選手が練習を始めていた。
入賞常連のKさん、昨年お休みしたG県のAさん、練習熱心だけど本番に弱いN県のFさん・・・
いつもなら選手たちの気迫に怖れをなして、タジタジとコートの端っこに乗っかるのが関の山だったが
今回ばかりは遠慮していられない。
私も積極的に隙あらばコートにガンガン入っていった。
「ゲッ、4’22”!」
注意されたことを気にかけつつ、ペースをあげる・・・
「うわっ、4’07”」
まだまだ遅いじゃん!
「4’03”。惜しい・・・今は指摘された手の位置が疎かになっちゃった」
「今のは歩幅がおかしくなった・・・4’12”・・・縮まんないし(焦)」
何度か動いては休み、また動いては休み・・・

そしてなぜかここにきて、表演服のことが気になってきた。
昨年から伝統拳は自選のみになったので、服装は自由のはずなんだけど、
休みながら見てると、みんな規定のファスナー服着てるし・・・
「ボタンつきでも大丈夫なんだろうか・・・?」
突然心配になってきたが、Fさんが模様つきの表演服を着ていたのをみつけて安心した。

私が会場でこんなに練習したのは初めてだ。
今回ばかりは頭の中で動作ひとつひとつを説明しながら動かないと、
L先生に注意されたことがクリアできなくなってしまう。
もう、顔がどんなことになってるか、気を払う余裕もない。
後日、本番の写真を見たら、どれもこれも鬼のように怖かった・・・

出番直前まで
受付をすませ、コートに入場してからも私の練習は続いた。
会場の隅っこでストップウォッチぶらさげて、視線の仕上げと、時間が安定するように・・・
時間はなんとか4分ギリギリに入ってきた。
頭の中は注意されたことをクリアする念仏でいっぱいなので、緊張する余裕もない。
本番さえ練習のひとつ、って感じ。
「出番が遅いと待ってる間が大変」とか「待たされるから不利」だとか聞かされていたけれど、
私にとっては待ってる時間など全然なくて、とにかく名前呼ばれる直前まで練習してたので、
むしろ最後でよかったとさえ思っている。



心配した時間は、Aコートの人より先に終わったので、逆に速すぎたのでは?と思ったほどだ。
出来は、練習どおりというか、とにかく念仏で動いていたので・・・
良し悪しいうより、ちゃんとL先生の指摘が直せたかどうかが気がかり。
結果は8.53
「(・・・どっかで聞いたような??)」

さすがは虎の穴
8.6点台なら「(もしや入賞・・・?)」てこともあろうが、8.5点台ではまず絶望的だ。
順位だって下から数えた方が早いかもしれない。
着替えを済ませ、荷物も持って帰り支度で最終成績を確認してから帰ろうと掲示板に向う。
・・・と、そこでバッタリ!
虎の穴教室で私の手の位置をアドバイスしてくれた女性だった。
彼女は刀剣の選手でもあるが、競技は昨日終えていた。今日は虎の穴チームの応援、見学にいらしたのだろう。
「あー!お疲れさまー、見てたわよ!良かったわよ、落ち着いてたわよね。」
(だって、念仏で頭がいっぱいで緊張する余裕もなかったんだもの・・・)
「手の位置直ってたかしら?気をつけたんですけど・・・」
「結構遠くを回してる人いるのね。私はL先生の孫式しか知らないから・・・余計なこと言っちゃったわね」
「そんなことないです!私はずっと孫式は独学なので、いろいろ言ってもらえたほうが嬉しいんです」
「えー!?そうなのぉ?独学ぅ?・・・それは大変だったわねぇ・・・」
「半信半疑なところもあって、ですからL先生に孫式習いたくて。」
「だったらさ!疑問なところ全部L先生に質問すればいいわよ!そうしなさいよ!」
「・・・は、はぁ」
(タジタジ・・・いや、それはどうなの?私、そんなこと出来そうにないよ)
長いこと立ち話しして、「ではまた教室で!」と挨拶してわかれた。

掲示板で最終結果を確認。まずは虎の穴教室の強豪たちの成績を・・・
教室の2時間、C先生がつきっきりで個人指導してた剣術の女性は38名中10番内に。
陳式の女性は入賞。
さきほどバッタリ会った刀剣の女性は51名中10番内に。
はー、さすが虎の穴だ。
そして私は・・・下から上に名前を探す。
12位。
29名中の12位。
今年は凡フライ打ち上げた、って感じです。



初映像
その日のうちに日帰りして、過去の成績を調べてみた。
今年の8.53は過去最高だった。8.53で最高かよ・・・ですがね(恥)
順位的には初出場の年が最高だったと思う。
ま、とにかく点数が持ち直してきて、これまでの最高得点8.5を超えてきたので
動きも少しは上向きになってきてるのだろうと思う。これもL先生のアドバイスのおかげと感謝でいっぱいだ。
だって、県大会と同じ動きしてたら過去最高点を出せなかったかもしれない・・・
本番でどのような動きをしていたか確認できないのが残念だ。
注意された動作を直すことが出来たかどうか、見てみたいものだ・・・
私はこれまで鏡も怖いし、映像なんて目を覆いたくなるくらい恥ずかしくて正視できない
が、今回ばかりは確認したいと感じていた。

私はひとりで行っているので、もちろん映像はないし、写真すらない。
しかし、写真は販売されていたのを記念に購入した。そして、映像に関しては思いがけない朗報が!
「飛ぶtuzi」の読書の方が会場にいらしてて撮影してくださってたのだ!
私ってつくづく強運なんだわ♪
じゃなくて、撮影してくださってた読者の方に感謝感謝!
送って下さるというではないか!
自分が動いているのを見るのは初めてのことです。
「怖いもの見たさ」もちょっとありで、到着を楽しみにしていた。
さっそく動きをチェック。
「おおーっ!」
案外いい。
「おおーっ!」
足の動きがL先生みた〜い♪
「おおーっ!」
いいねぇ・・・形意の強さが、いいねぇ・・・
最後、ハンレン脚でよろけていたが自覚がなかったり。
そういう点、映像があると発見できるのね♪
お姉さんに指摘された手の位置は注意はしたものの直りきってなかったが、L先生の指摘はちゃんと直っていた。
「ほっ。」

私はまだまだ勉強しなければならなりません。
これまで「あーでもない、こーでもない、今年はこういう主旨の動きに完成させよう!」とか
自分の声だけを頼りに練習を重ねてきましたが、今大会では第三者からのアドバイスもありまして、
今までにない「あーせねば、ここはこーして」といったこれまで経験した事のない念仏の練習をすることができました。
そういった指摘が受けられるということに、私は幸せだと感じました。
やっと独学から抜け出せた大会になりました。
今後も、そうした声がいただけるような練習ができたら、と望んでやみません。
家を留守にしても協力してくれてる家族、L先生C先生はじめ虎の穴教室のみなさん、
そして大会に足を運んでくださって撮影してくれた読者のMさん・・・
たくさんの方の上に成り立った今回の全国大会でした。
心より感謝申し上げます。